私はAppleが嫌いだ
私はAppleが嫌いだ。
私はAppleが嫌いだ。
私はAppleが嫌いだ。
小さな島国のガラパゴス携帯でとっくに実装されていた極細液晶を網膜ディスプレイとわかりやすく称したり、MacBookAirより薄いノートPCは存在していたのにマニラ封筒から出してアッと言わせたあのプレゼンのセンスが嫌いだ。
シンプルに美しくと言ってボタンなしのマウスをお披露目する一方で、実は右クリックにしっかり対応しているあのそつのなさが嫌いだ。
かの横井軍平氏の哲学「枯れた技術の水平思考」をものにできない小さな島国の企業を尻目に、ひとつひとつは目新しくない技術をスマートに使いやすくまとめあげる真似の出来ない猛々しさが嫌いだ。
次の時代はこれだよ!と、それまでの機能をなかったかのごとく切り捨て、ユーザーやソフトウェア制作者、周辺機器メーカーを右往左往させるあのしびれるほどのいさぎよさが嫌いだ。
発表会のたびにやれOSの売り上げが○○%アップしたぜ! だけど△△陣営はそんなに伸びてないよね?と、母体数をムシして語ることでわくわくさせられてしまうドヤ顔が嫌いだ。
俺のアイデアは俺のもの。おまえのアイデアも俺のもの。ジャイアンばりに独裁しながらかぎりなくエレガントなプロダクツをまとめあげ、社外のトップには破格の契約を結びつけ、発表会ではみんなのおかげだというツンデレっぷりを披露する希代のカリスマ、スティーブ・ジョブズを有していたAppleが嫌いだ。
そして。
ジョブズがいなくなったら、やっぱり落ち目になってきたね、なんてAppleをみるのはもっと嫌いだ。
ずっとずっと、Appleの動向に一喜一憂していたい。
願わくば、その遺伝子が継がれることを。
さようなら、ジョブズ。