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王道とは

今週のお題」が特別編実施中につき、本編を待つことにして、思ったことを書き綴ってみようと思います。

以前、面白い物語と面白くない物語の境界というブログを書いて、「王道」と呼ばれる類型的な物語がなぜ面白いのかを考えたことがあります。どれほど奇想天外な話でも、展開がわかってしまうと面白さは半減してしまうものですが、みえみえな展開の積み重ねである「王道」の物語を、面白いと思えることがあるのはなぜだろう?と。

そのときは「期待させて応える」ことこそがキモだからではないか、と考えました。

最近、これは意外に深いなぁ…と思っています。
自分で言ったことでなにを言わんやではありますが。(あるいはなにをいまさら…?)

「王道」の展開。たとえば次のような構成が思い浮かびます。

・仲が悪い関係は次第に距離が近づき、最終的には互いにかけがえのない存在に。
・努力は報われ願いは届くか、新しい出会い/価値を見つけ出す。
・親/師は偉大で、子/弟子はどうにかして乗り越えてゆく。
・ドジでダメなやつにも見所はある、あるいは見せ場がある。
・世間から受けた誤解/非難は、取り戻すか超越する。
・憎き仇は討たれ、裏切り/悪事は罰せられるか、犠牲と引き換えに赦されるもの。

などなど。書ききれないほどです。

そしてこうして書き並べてみると、「王道」とはわかりやすい前振りとその結果であることが見えてきます。
これって…因果応報のカタチといえます。

【因果応報】(大辞泉より)
仏語。前世あるいは過去の善悪の行為が因となり、その報いとして現在に善悪の結果がもたらされること。

「王道」の展開とは、因果応報。

なるほど…と自分で納得してしまいました(苦笑)。

アメリカンドリームも因果応報の一種と言えます。単純ですが、努力すれば報われてほしいというのは万人の願いで、そこに希望があるからこそ、努力すると言えます。

もっと単純に言えば、グラスを落としたら割れるといった、世に起きることや結果には原因があると思わずにいられないわけです。(だからこそ棚ぼたを夢見てしまったりもするのでしょう)

ヒトは物事に関係性を見出さずにはいられない生き物だそうです。
哲学も科学も、そうして生まれてきたのだと。


脱線しますが、クイズを出します。
ここに連続した数値をよく見てください。

 5、7、9、10、13

この数値は、どういう順に並んでいるでしょうか?

これは先日NHKでやっていたUNSOLVEDという番組で紹介されたクイズです。


視たときは、2飛び? 奇数?? と、いろいろ考えましたが、正解は、、、、



「右に行くほどに大きな数になる」でした。

なにそれ!?な答えと思ってしまうのではないでしょうか。どんな法則があるかと思ったのに…!と。
この問題から得られることは、ヒトは関心を持った要素にはなんらかの意味を見出そうとする、ということでした。ランダムであったり、ゆるくていいかげんなものには心理的に耐えられないのだそうです。

いいことにせよ、よくないことにせよ、起きてしまった出来事はどうして起きたのか、そしてまた起こすには/避けるには…と考えずにはいられないヒトという生き物。

そんなヒトが見出してきた物語の法則が、王道なのだと思います。
期待せずにはいられない物語というわけです。


けれど、展開がみえみえな物語はやはり面白いと思えないでしょうし、王道という型のある要素が使われているにも関わらず、面白い!と思える物語とそう感じられない物語ができてしまうのはなぜか。その違いがどこに生じるのか。

このことについては、日を改めて書いてみたいと思います。