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人が物語を求める とてもシンプルな理由

物語は世界中にあふれています。
遙か昔から東洋問わず、今なお、そして未来永劫、尽きることなく紡がれます。

なぜ人は物語を求めるのか。

それは安定した生活の中に変化を求めるからです。変化とは感情の動きを伴う行為です。


■人の本質
そもそも人は、時代とともに営みが変わろうとも、その本質は驚くほど変わっていません。
古代ギリシャの時代から、名誉を欲し、理解できないことを恐れ、ねたみそねみ、惚れて別れて、正義を求め、怒って悲しんで笑っています。

その本質は、保守と革新に大別できます。
保守とは、現状の維持、安定を得ようとする守りの行動。
革新とは、物事を改め、変化を得ようとする攻めの行動。

この相反する本質のせめぎ合いによって人類は増え、発展してきたのだと言えますが、そんなスケールの大きな話でなく個人レベルでも同様です。

毎日おなじことを繰り返すだけで生きていけるとして、人は充足していると思えるでしょうか。
変化のない安定は硬直した状態であり、極論ですがしてもしなくても同じ無為な状態です。
そこに感情の喚起はなく、意義を見いだせない行為はただただ精神を消耗させてゆきます。

かといって、明日どうなるかわからないような、落ち着きのない生活をしたいと思うでしょうか。
活力に満ちた状態ならある程度は精力的に維持できるかも知れませんが、感情が休みなくゆさぶられ続ける行為もまた精神を消耗させてゆきます。


だからその両方を必要とします。
程度の差こそあれ、人は多くの場合、安定の上に変化のある状態を望んでいるものです。


■変化を引き起こす要素
ここで述べている変化とは、感情の動きを伴う行為です。
物理的にものが動いたとしても、それに感情が伴わなければ、人にとっての変化にはなりません。

小説や漫画や映画やゲームに夢中になることから、アイドルを追いかけたり韓流ドラマにはまること、創作的なものだけでなくスポーツ観戦やニュースを知ること、子供が聞かせてくれる学校であった出来事から、友人の恋愛相談、世界の識者が語る地球の行く末まで、およそ人という存在が成すことを見聞きする行為すべてが、物語に接しているということに他なりません。

物語に触れることで感情に動きが生じます。
変化への期待をこめて物語が求められます。


対となる要素として、人が自ら体験する行為があります。スポーツや遊技、芸能、勉学、研究といった、変化し続けることが求められる状況に身を置く行為。安定よりも変化の占める割合が大きい生活です。
それを生業とする人たちは、物語られる対象そのものとなります。
上位に立つ人ほど、高給であることや賞賛され一目置かれることが当然のようになっているのは、安定に重きを置おいた生活をする人からみて、続けることが容易でなく、そもそも本質からして別の道を歩む人たちであるとわかっているからかもしれません。
(あわせて敬意を払う対象であることも求められているので、物語る内容とのバランスがとれなくなった人はパッシングの対象となるのでしょう)

余談ですが、ゲームはどちらにも属することができます。物語に触れるというプレイも、自ら体験するという行為にも。とても興味深いメディアです。

さらに余談ですが、自ら体験した行為を他者へ説明することが難しいメディアほど、パッシング受けやすい傾向がありそうです。ゲームもそうですが、たとえばデイトレードも。経済活動の一環である金融は必要性があって突き詰められた結果、身体性に乏しく理解しづらいものとなっています。元をたどれば、経済に安定性を求めようとして始まったことと思いますが…。

閑話休題です。


■まとめ
なぜ人は物語を求めるのか。なぜ物語は尽きず語られ続けるのか。
「書く」ことと向き合いはじめて、この疑問にぶつかりました。

これまで考えてなかったのか!とか、書かずに理屈をこねくりまわしているだけ!といったツッコミを自身にしてしまいますが、観測してしまった心の動きをなかったことにはできず、「なぜ物語られるのか」「面白い物語とそうでない物語の違いは」「王道と呼ばれる物語について」といったことを考えてきました。
http://d.hatena.ne.jp/ueo6110r5/archive?word=%2A%5B%BB%D7%B9%CD%A1%AA%BA%F8%B8%ED%3F%5D

そして、とてもシンプルな理由に行き当たりました。

人は本質的に、感情を伴う変化を生きていく上で必要としています。大なり小なりの差はあれど。

面白い物語とそうでない物語の違いは、そこに感情を動かすような変化が生じるかどうかです。
王道と呼ばれる物語の構成は、人の本質が変わらないがゆえに新しさに欠けようとも古びません。
また誰しもが受け入れられる物語が存在し得ないのは、そこに感情が絡むがゆえと言えます。

世の中で受け入れられるもの、そうでないものの理由さえ読み解ける気さえしてきました…!


そして、ここで自身の話になってしまうのですが、ブログを書こうと思いたった理由がようやくわかりました(笑)。

誰かの感情をわずかでも動かせるかも知れない行為を個人としてやってみたいと思った、のです。
これまでいろんな方のブログを読んできて、蓄積された思いかもしれません。

最後に。
理由がわかったからと言って、それに即したものを書けるようになるわけではありません。
そこは書いてゆきながら考えてゆきたいと思います。