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人はなぜ物語を求めるか

人はなぜ物語を求めるか。

このような問いはしばしば見かけます。

それに対しては「知らなかったことを知る(知識)」「同じ様な考えを共有する(安心/自信)」「感情をゆさぶられる(娯楽)」といった答えを見てきました。

それなりに納得していたのですが、最近、つぎのような感じの言葉に出会い、なるほど…!と思ったのです。(どこで見たか忘れてしまったのですが…検索しても見つけられませんでした…)


「ひとは生を受けたときのこと、生を全うするときのことを知ることができない。人生という物語は、ひとにとって、始まりと終わりのない物語となる。だからこそ、ひとは始まりと終わりのある物語を求める。」


人生を例に出すと大きな話になってしまいますが、もっとシンプルに言えます。
今日やったことは昨日からの続きで、明日することは今日の続き、ということです。何かがいきなり始まるなんてことはめったにありません。

たとえば、いきなり始まる話として「一目惚れ」を思い浮かべました。
これには明瞭な始まりがありそうですが、出会いに至るまでの人生において形成された好みなどが影響しているはずで、人生という物語上の続きであるはずです。もちろん一目惚れでない、人を好きになるという過程はそれこそ簡単に説明できるようなことではないでしょう。
流行?の婚活は、構成的には「一目惚れ」に似ているかもしれません。出会いに至るまでの人生において形成された好みをもとに、好きになりたいからこそ気になる人をみつけて…と少し順番が違うだけです。(恋愛抜きにしたケースもあるかもしれませんが、それはそれでやはりそれに至るまでが…ということに)


要は…世の中、始まりもなければ終わりもないことばかり…と言えそうです。

それこそ、なにかに失敗しても人生は続くし、なにかに成功しても人生は続きます。そして、人生が終わったとしても世界は続きます。

だから始まりがあって終わりのある物語を求める。

言いかえるならば、得られないものだからこそ、求めてしまうのかもしれません。



なお不謹慎ですが、いきなり始まる話の対極として「自殺」についても考えました。「自殺」は、自身で物語を終わらせることができるという側面があるからこそ、ときにあやしげな魅力をはなつのか…?と。
けれど考えた結果、ことを引き起こしたあと、関わりのあった周りにどのような影響を与えるかを知ることができないので、物語としては不完全にならざるを得ない、と思いました。
それこそ、そのことに考えが及ばなくなってしまったときに……のことなのかもしれません。


世に物語のつきないわけは、こういうことではないかと考えました。