「書く」と思い立つ前の出来事
だれしもがなにかしら、あたまの中で考えていることがあると思います。
なにを食べようか…。仕事を終わらせるには…。次の週末はどうしよう…。etc...etc...。
なにかを考えたとき。あたまのなかではさまざまな可能性がめぐっているはずです。
楽観的な人はきっとうまく事が運ぶ期待を、悲観的な人はあらゆるつまずきそうな可能性を。
けれど、あたまの中だけで考えていることは、言葉にならないばくぜんとした印象で形成されている気がしてなりません。だからでしょうか。はっきりとした方針にいたらなくても、なんとなく考えた気になって、満足してしまう…ことがあるように思えます。
なにかしら結論がでた気になりやすいと思うのです。
思考のきたえかたが足りないのかもしれませんが…。
そのあたまの中で考えていることを、いざ言葉にして書きつづろうとしたとすると。おどろくほどに、言葉になりませんでした。
第三者にみせることを前提に具体的な言葉に落とし込もうとしたのですが、作文用紙の半分に満たない文字数にもかかわらず、難しかったのです。(長文にすれば書けたというわけではありません)
けれど、書くほどに思考は明瞭になりました。
そうか…そういうことを言いたかったのか…! と、つむがれた言葉に納得してしまうほどに。
この体験は、「おとなの小論文教室。」を読む前の出来事でした。