ueo6110r5's blog

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ちょっと話題になっていることについて

私の近辺でそれなりに話題として流れている↓この話について述べられた…
1:参考リンク(1):ゲーセンで出会った不思議な子の話(哲学ニュースnwk)
島国さんの↓意見に対して…
2:参考リンク(2):実話として流通する嘘に大喜びする愚民(島国大和のド畜生)
fujiponさんの↓ブログを読んで…
3:僕は「フィクションに騙されて、現実逃避したいバカ」です。
…思ったことを書きます。

まず1についてですが、最初に知ったときは、出だしを少し読んで閉じました。
書き出して間もなくの37の質問に「多分」と返事したことに違和感があったのと、そのまえの話の終わり方でなんとなく展開がみえた気がしたからです。既視感、と言ってもいいかも。
つぎに順番としては3のfujiponさんのブログでした。
活字中毒R。』のファンとして読んでいたfujiponさんのブログをみて、そこから2の島国さんのブログを読み、最後にあらためて1を全部読んだ、という順で追いかけました。

全部読んだ1の感想は…ネットで騒がれているほどいい話とは思えませんでしたが、島国さんが言うほどダメダメな話とも思えなかったという中途半端な感じ。ただ最初に読んだときの印象通りの展開ではありました。
ただ、fujiponさんが言ってることと島国さんが言ってることは、ベクトルの異なった内容で、話としてかみ合ってないのでは…と思ったのです。

島国さんが言いたいのは、『「不誠実な作り話」は大嫌い』につきます。
なぜ嫌かを説明するために、これまたはやり?のステマの構造に似ているのに!という具体例をあわせるあたり、なんというか企画屋さんのさがかもしれません。同じ2chのユーザーでも、ステマで騒ぐ人と「ゲーセンで〜」を受け入れる人たちはイコールではないと思いますが、細かいこと書いてると長くなってしまいますし(このブログのように…)。
ともあれ「不誠実な作り話」=ステマ説に共通するのは、承知の上でそうじゃないふりをするという作者のずるさと言えます。どちらもモラルに反している。そしてあからさまにモラルに反した行為は世間からたたかれますが、「ゲーセンで〜」もあからさまだろうに、と言われてます。

一方fujiponさんは、ほんとかなぁ…と思いつつ読まれて、なにがしかの得られるものがあったからそれでいい、というスタンスのようです。事実かどうかをさほど重要視されてないくて、得られるものがあるならフィクションにも意義はあるという考えをいろいろ説明された上で、

「誰も大きくは傷つかない話」であれば(誰もまったく傷つかない話なんて、フィクションにもノンフィクションにもありません)、そこに書いてある話が面白かったり、感動できるかどうかだけが「判断基準」で良いのではないでしょうか。

…と結ばれています。
想像ですがfujiponさんは、ステマで書かれたブログなどがあったとしても、全くの嘘でなくて得られるものがあったとすれば、目くじらたてなくてもいいのでは?と思える人ではないでしょうか。

いずれにしても、島国さんは創作物の作り手のモラルに対して、fujiponさんは創作物の受け取り方について書かれているので、行き違いになっているようにみえたのです。


私はどちらかというとfujiponさん寄りな考えでした。家庭用ゲームにはそれなりに思い入れがあってもゲーセンにはさほどなかったことや、話自体に細かな違和感があって、素直にいいとは思えませんでしたが、目くじらたてるほどではないかな…という程度。
けれどモラルという言葉が当てはまる出来事だと気がついた時点で、fujiponさんと違って本気で実際にあったことと信じて読んだ人もいたと考えると、一抹の不安を覚えます。

あとfujiponさんは↓このようなことを書かれていますが、

いやしかし、「これウソですからね、フィクションですからね!」ってキッチリ前置きされたら、どんなフィクションでもつまんなくなると思うんですよね。

世の中の創作物はみな創作であることを伝えた上で、作り事と思わせずに受け手を引き込むための展開をすべく創意工夫を積み重ねて戦っています。相当しんどい戦いです。けれど実話と言うと、そのハードルが下がります。面白くない展開でも実話だから、なんて効果さえ得られそうです。
だから創作なら創作で、冒頭で述べる必要はなくても、最後には「この作品はフィクションであり、実際の人物・団体・事件などとは一切関係ありません。」といった宣言が必要で、ごまかしてはいけないところだと思います。

ただもし「ゲーセンで〜」がフィクションであると宣言されていたら、話のクオリティはさておき、島国さんはこのようにとりあげてなかったでしょうし、それでもfujiponさんはゲーセンでの思い出とともに読まれたのだろうなぁ…と思う次第です。